クリープハイプというワードも世間に浸透してきて、好評も悪評も議論されきった感がある。
歌がいい
声が気持ち悪い
歌詞がいい
歌詞は下ネタばっかりだし下品
世界観がいい
世界観でまとめるのよくない
尾崎世界観の笑顔がいい
でもあいつ性格悪い
ベース(長谷川カオナシ)かっこいい
でも喋るとなんか・・・
という具合に評価と非難に晒されやすいバンドだと思う。
それでも惹かれ続けるファンの多くにとって、クリープハイプの歌詞は中毒性のある重要なファクターに違いない。
歌詞に惹かれる人の属性
まず、「NE-TAXI」に出てくるような、ヤケになってしまったり自虐的な気分になりがちな女性の心はがしっと掴んでるはず。
自分が持つ負の気持ちを「あるある」状態に導かれたら救われるような気持ちになるよね。
スタンダードな「進学→企業に就職」っていうコンボから距離を置いた人や、情熱を傾けて専念すべきものがない or 情熱が失われてしまったというような、集中力が空中分解した状況で生活したことがある人の心にもひっかかると思う。
そんなどうしようもなく退屈な生活を味わったことがある人は、同じような人間の日常を描写したような曲が気に入るんじゃないだろうか。
「バイト バイト バイト」なんて主人公が退屈すぎて、ベーシストがどうとか君はどうだとか気になり始めちゃっている。
僕はバイトしてます なんていう締めくくりなんてどうしようもなさに恐怖すら感じる。
なに不自由なく生活してきた人にとって、あの文脈で「僕はバイトしてます」っていう歌詞があっても、心のどこにも引っかからずに聞き流すよね。
でもどうしようもなくどうしようもない生活に触れたことがあるなら、この登場人物の将来性のやばーい感じだったり、むなしい胸中を想像してみたりして共感に導かれるんじゃないだろうか。
なに不自由なさすぎて、夢中になって成し遂げたいことが特にない無気力な大学生とかにも刺さりそう。
「クリープハイプの歌詞」というささくれだった矢が刺さる人に共通して持っていると考えられるのは「喪失感」かもしれない。
歌詞に出てくるストーリーの主人公が喪失感を抱えていて、その喪失感がリスナーである自分の人生でも経験してきた種類の喪失感だったりする。
曲だけでなく歌詞ごと頭に流れ込んできて、メロディーに心を踊らせるだけじゃなくて色々なことを重ね合わせて想像する。共感する。
やっぱり共感したときや感情が動いたときに音楽は脳に染み込むものだと思うし、
尾崎世界感が紡ぐ歌詞は、自虐に浸っていたい気分の人やびみょーな生活をした体験がある人の脳に染み込むタイミングが、短いスパンで楽器のベルトコンベアにのって来る気がする。
作者自身が、世間や周りの人にとにかくイライラしていたようだし、バンドで認知されるまでに、うまくいかなかったり、大人の事情にがっちり巻き込まれたりすることがあったみたいだ。
そういった活発な精神活動の賜物として、ちょっと心が疲れたり退屈な人を呼び込む生々しさ満載の歌が降臨したのだと推察される。
むすびに
突き抜けないというか、滞留している感じの歌が多かったバンドだけど、今では未来に向かってみる曲も増えましたね。相変わらずクネっとした素直じゃない道筋に乗せられた未来ではあるけど・・・
初期から「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」くらいまでの、根底にどうしようもなさが漂っている感じがファンの心を掴んでたりするんじゃないのかなっていう記事でした!
最後まで読んでくださってありがとうございます!